『報恩講をご縁に9』(本願寺派が作成のリーフレット)に掲載されたご法話を紹介します。
ご開山(親鸞聖人)が、これが浄土真宗の教えだとおっしゃった『無量寿経』の前半は「弥陀分」というて、お釈迦さまが阿弥陀さまとはこういう仏さまなんだとお説きになっているけれども、その中には一ヵ所も我々の生き方が告げてない。また一言も私どもの罪が深いとは説いてない。有り難いね、これは。罪深い者に「汝の罪は深い」と告げるひまはないんだ。
川端を通りかかったら、子どもが土手で遊んでいたらしゅうて、一人が溺れておる。そこへ通りかかって「こんなとこで相撲とるから溺れるじゃないか」と、罪を告げるひまはないではないか。溺れておるなら、何であろうとまず先に救うてやらねばならん。
それがお救いなんだから、「我何をなすべきか」ではなくて、「仏何をしたもうか」を聴聞するんですよ。
深川倫雄(ふかがわりんゆう) 『如来をきく』(彰順会編・探究社刊より)